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950年前、北宋天文官が見たカニ星雲大爆発、ハッブル望遠鏡で証明
首页 > 中国ふしぎ実話集 作者:德田 2018年9月8日 浏览:145 文字サイズ: 评论:暂无评论

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The Hubble Space Telescope photo was taken Nov. 5, 1995 by the Wide Field and Planetary Camera 2 at a wavelength of around 550 nanometers, in the middle of the visible part of the electromagnetic spectrum. Credit: Jeff Hester and Paul Scowen (Arizona State University), and NASA

今から950年前に、北宋の天文官が見た、

カニ星雲大爆発の記録 ハッブル望遠鏡で証明

 

  毎年、五月の末ごろに夜空を見上げれば、牡牛座が南に見えるはずである。ちかごろ、NASAのハッブル宇宙望遠鏡で撮影したカニ星雲が、星好きのひとたちのあいだで話題になっているが、そのカニ星雲はこの牡牛座の中に見える。NASA関係のホームページを読むと、カニ星雲は1054年に大爆発したとある。
もう少し詳しく述べると、かつてイギリスの天文学者たちはカニ星雲に興味をいだいて、いろいろ観測していた。1939年に、天文学者ジョン・ダンカンが、カニ星雲は拡大しており、点光源から逆算するとおそらく約766年前に大爆発がおきて、超新星ができたと、結論づけた。そして歴史家は、中国の歴史書に記録されている、1054年の「ゲストスター」という超新星大爆発・カニ星雲の形成とは関連あるものと判定した、とある。

では、中国の歴史書にはなんと書かれていたのだろう。

調べてみると、『続資治通鑑(ぞくしじつがん)』には、北宋仁宗皇帝の至和元年(1054)の三十二節に、「五月己丑(きちゅう)、客星が天関(註1)の東南に現れた。数寸(註2)の大きさである」と記されている。また、『宋史・天文志・客星』には、同文のほかに、さらに「一年余りでようやく消えた」とある。イギリスの学者はこの歴史書から確認したのだ。つまり 「客星」とは「ゲストスター」のことである。
旧暦五月己丑は西暦になおすと七月四日(註3)である。中国の星座の天関とは、西洋の星座の牡牛座ゼータ星(ζTaurus)、つまり牡牛座のひだりの角の先端にあたる。

そこで、もう一度、『宋史・天文志・客星』を現代日本語に訳し直すと、
「1054年7月4日、超新星が牡牛座のゼータ星の東南に現れた。大きさは金星よりも何倍も大きい10数センチの大きさである。一年あまり夜でも輝きつづけた」ということである。
ちなみに太白星(西洋では金星)は同年5月末にも昼に現れているが、それは金星(ビーナス)であって、今回の超新星とは関係がない。金星はしょっちゅう現れている。
この超新星は月ほどの大きさなのに、ヨーロッパの記録にはない。ローマ帝国崩壊後は、ルネッサンスまでは、各地の政権は夜空を観察するだけの余裕はなく、ヨーロッパ文明はすっかり衰退していたのだろう。

超新星の記録は、中国だけではなく、日本の記録にも載っている。
日本では、超新星爆発の100年後に記された藤原定家の「名月記」に、他からの引用で書いてある。爆発したときは平安時代だったが、残念ながら「枕草子」で有名な清少納言も、紫式部もそのときはすでに死んでいて見ていなかった。

 あの星々は爆発して超新星となり、水素、窒素、炭素、酸素、鉄のような化学元素にもどってしまった。地球やわたしたち生物のからだも同じ元素で作られている。星の進化と爆発。かたまれば、ふたたび新しい星がつくられる。
この宇宙は死と再生の循環なのか。あるいは、しだいに冷たくなり、すべての存在は永遠の無に帰するのだろうか。夜空の星ぼしを眺めながらそう思った。

(註1)天関とは牡牛座ゼータ星(ζTaurus)。「中国恒星観測史・表52宋『周琮星表』」(潘鼐(だい)著・学林出版社)参照。
(註2)数寸。北宋一寸は3.17センチ。よって、数寸は10数センチ。
(註3)二十史朔閏表(陳垣著)にて換算。

 

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Credit: NASA and Chandra Science Center

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